理事のつぶやき 14

 

「打倒オレ!」から「出会いと感謝」へ

 

無謀にも、51歳で初挑戦したフルマラソン。

正月明け、鹿児島県指宿市で開催される菜の花マラソン大会にエントリーしたのが前年の9月。練習期間はわずか4か月でしたが、仕事から帰ってから5kmを週3日、土日はどちらかで10km走。毎日足腰に湿布を貼りながらの練習がはじまりました。練習で走った最長が20km。これが限界でした。

 大会当日、なんとかスタートラインに立つことができました。参加者は1万7千人、スタートラインから見る光景は、国道が何百メートルも埋め尽くされ、まさに圧巻。そして、私のすぐ前には、紺の下地に白く「打倒オレ!」の力強い文字のTシャツをまとった若者。こんな人たちと一緒に走れる・・もう覚悟は決まりました。行くところまで行こうと。

 スタートを知らせるファンファーレ。道なりには、たくさんの応援する人・人・人。応援するスタイルは様々で、1月の寒い中、ドラムをたたいて、ランナーの走るリズムを取ってくれる床屋のおじさん。両手をあげて長い列を作って「がんばれ~」とハイタッチしてくれた可愛い幼稚園児。何時間もずっと演奏をし続けてくれた吹奏楽部の高校生。目の不自由なランナーを一本の紐でつないで伴走してくれたボランティアの方。また、それぞれの家の前で焼き芋やバナナを一口サイズに食べやすく切って提供してくれた地元住民の皆さん。

 それはそれは、数え切れないほどの応援を沿道のあちこちでいただきました。

中間地点のハーフを通過、ここからは未体験ゾーン(走ったことのない距離)。全身ボロボロ、途中何度か立ち止まってはまた走り、35年前に手術した肺が、必死になって血液に酸素を送り、全身の筋肉を動かして、私の身体を前へ前へと運んでくれました。

“地獄”のように例えられる35キロ付近で(本当に苦しかったです)、「おとうさ~ん」と聞き覚えのある声。沿道にいたのは次女でした。ゾロゾロ走る多くのランナーの中から私を見つけ「これ飲んでっ!ラスト5kmがんばれ~!」と、渡されたのはリゲイン。一気に飲むと、まるで魔法にかかったかのように、そこからは一度も歩かずに走り切ったのです。こんな私でもゴールできました。テープの向こうで待っててくれた家族と抱き合って喜んだあの時の感動は一生忘れることはできません。

 マラソンを人生に例えることがよくありますが、不肖ながら私なりの答えは、やはり「人は一人の力で生きているのではない」ということでした。沿道で何時間も寒い中、応援してくれた人たちのように、私もこれまでに、家族、友人、そして職場の仲間や教え子、たくさんの有り難い人たちとの出会いがあって、今ここに生かされている。“宝物”はこんな身近にありました。スタートで「打倒オレ」の若者に背中をポンっと押され、ゴールで「出会いと感謝」が私を迎えてくれました。

わたしの“つぶやき”を最後までお読みいただき、ありがとうございました。

さあ、令和6(2024)年がはじまりました。皆様におかれましては、今年も、新しい素敵な出会いがありますよう、心よりお祈りいたします。

                              県支部理事長 松永 博幸(68歳)

 

理事のつぶやき13

 

「ライブの勝利」

                

                               長崎北陽台高等学校教頭 松添 秀喜

 

 現在、高校の現場でもタブレットやICT(情報通信技術)を活用した授業が大いに取り込まれて

います。ここ数年で一人一台端末の配置が後押ししたこともあり、教育界では爆発的な教育革命

起こっています。本校でも60歳前後の先生方でさえ、試行錯誤しながらも様々なコンテンツを用

て授業を展開していることに頭が下がる思いです。

 

 ところで、10年前とは随分と変わった授業風景ですが、どの先生方も試行錯誤の結果、結局は昔と

変わらなかった点があります。1つは「ノートの活用」です。思考を深める際には、やはり手で文字

を書いていくことが大切だということのようです。おそらく太古の昔より我々のDNAには、手書き

することで思考力を発達させると書かれているのでしょう。

 

 もう1つが、「手書きの文字」にこだわり、抑揚のある声で授業をされているということです。

これはユーチューブでどのような音楽でも視聴できるこの時代に、高価なチケットを購入してわざわざライブ演奏に出かける人がとても多いことと同じかもしれません(スポーツ観戦も同じですね)。

  それはなぜか。やっぱり「バーチャルはライブにかなわない」からだと私は思っています。これは

教育の世界でも同じであり、オンラインやオンデマンドというICT教育は、絶対にライブの教育にかな

わないものなのでしょう。(もちろん、ICT教育の良さはたくさんありますが)

 

 さて、この2つのことは「教育相談」の場面でも大事なことなのではないでしょうか。いくらAI

(人工知能)が発展して、子どもたちの悩み事やその解決法もAIが画面に表示できるようになっても、やはり「ライブにはかなわない」はずです。子どもたちは、同じ目線で優しく寄り添ってくれる生の大人の皆さん(この学会の皆さん)を待っているはずです。そして子どもたちに、思いはチャットなどのSNSで表現するよりは、手書きにした方が絶対に伝わるはず。やっぱりやっぱり「バーチャルよりライブ」ですよね!と感じている毎日です。

 

 ということで、今年もあとわずかとなりました。

 来年も皆様にとって良いお年でありますように祈念して、私のつぶやきとさせていただきます。

 来年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

理事のつぶやき その12

 

百点ダンス

 

若い頃、小学4年生の担任をし、Aさんという女の子を受け待ちました。傍にいると穏やかな気持ちになれる子で、ノート配りが得意でした。学級の関係性の中で活躍できる子でした。

しかし、読み書きは苦手で、単元後のテストは白紙に近い状態でした。「学習内容を無理に理解させようとするのは、本人の負担になる。」。私は、自分自身にそう言い聞かせていました。

 

国語科「ごんぎつね」の学習も、私や同級生の言葉を聞いているだけでした。

頭をよぎりました。「本当に聞いているだけか?」。Aさんは、いつも教科書を開いています。 

時々、表情が緩むことがあります。「聞いているだけではなく、聞いて学んでいるのではないか?

読んで書くテストが難しいならば、聞いて話すテストをしてはどうか?」。

休み時間にAさんを呼び、急ごしらえのテストを実施しました。問題は10問。

私が1問ずつ問題を読み上げ、Aさんが口頭で答えます。それを私がプリントの解答欄に書いていきます。

Q「主役のきつねの名前は?」→A「ごん」。

「兵十は、だれがくりやまつたけを持ってきていると思っていたか?」

  →A「神様」。…

10問、問い終わりました。さあ採点。1問目「〇」。2問目「〇」。3問目「〇」…。

同級生は固唾を呑んで見守っています。そして10問目。

皆が大きな声で「〇」。百点でした。

翌日受け取った母親からの手紙にはこう綴られていました。

「生まれて初めての百点。嬉しくて嬉しくて親子で百点ダンスを踊りました。」

 

 その後37年。百点ダンスの思い出は、私の教職人生を支え続けました。

 “Education”は、通常「教育」と訳されますが、その語源は「引き出す」ことだ

そうです。

 教育とは一人一人が本来もっている力を「引き出す」こと。

 「私がAさんの力を引き出した。」という思いあがった考えはありません。

 「Aさんが私の教育観を引き出した。」のです。

 教育相談の考え方が、私の心を離さないのはこういった経験が影響しています。

 私の教職生活は、60点ダンスの積み重ねでした。「それもまた良し」と思って

います。

 

佐世保市教育委員会社会教育課 山口博徳

 

 

理事のつぶやき その11

 

 

私の居場所

                               

  今回は、私の居場所の一つをつぶやきます。どうぞお付き合いください。

 私は、3年前の夏から毎月28日の夕刻にお寺を訪れるようになりました。このお寺には、23年前に父が亡くなったときからお世話になっており、年に数回お寺で執り行われる法要には、母とお参りに訪れています。3年前の6月に行われた法要の際に、ご住職から「歎異抄を読む会」を始めたと聞き、下手の横好きの私はその年の8月から参加しています。仕事の都合で、欠席することもしばしばですが、楽しみなひと時です。会は、仏間でのお正信偈の唱和で始まり、続いて歎異抄を読み解くのですが、それはそれは難解です。一時間ほどしたら、坊守さんが入れてくれる美味しいコーヒーをいただきながら、雑談の時間となります。歎異抄に関する質問、ひと月間の出来事や近況報告など話題は様々です。この会で最も若輩の私はもっぱら聞き役のことが多いのですが、穏やかでよい時間を過ごすことができています。私とは異なる世界で人生を歩んでこられた先輩方のお話は貴重で、私の大切な居場所のひとつです。また、この会に参加するようになり、最近気づいたことがあります。法要の時に座って眺める本堂のご本尊が、近くにそして大きく見えるようになりました。不思議ですよね。  

 昨日14日には、盂蘭盆会法要でお寺を訪れました。本堂には入りきれないほどの人出でした。お寺で2時間弱ほどの時間を過ごしましたが、その間に、旅立った父やご縁のあった方々のお顔が浮かんできました。その人たちから「今、どんな生き方をしているのか?」と私に問いかけてくれているような気がします。法要は、ご先祖たちや所縁のあった方々を偲びながら、自分とも向き合う機会であると、この数年考えるようになりました。

 居場所とは、人であったり場所そのものであったりするのだなあとあらためて感じます。

 もちろん、この長崎県支部も私にとって、大切な大切な居場所です!

 

                             九州文化学園高等学校  木原修一

 

 

 

理事のつぶやき その10

 今回のつぶやきは、長崎県支部顧問の尾崎洋一郎先生です。

 HP管理者の私は、昭和をほぼ26年、その後平成、令和と歩んできました。昭和の記憶が

最も鮮明なのはどうしてだろう?と自問自答しています。

 どうぞ、つぶやきをお聴きください!

 

 

昭和は遠くなりにけり

                                  尾崎洋一郎

 

 先日、某こども園の先生方にお話をする機会をいただいた。不適切な保育を防止するためにという

目的での会であった。冒頭、あまりにも会場の雰囲気が堅いので、少し笑ってリラックスしてもらおうと思い、話のまくらの部分にやわらかい話を入れてみた。世の中の変化が早く、私は化石になりつつあるとの後で、「時の流れは容赦なく、毎日が飛ぶように流れていく。ついこの間、マッカーサーが帰ったと思ったのに・・・」と言った。ここで、爆笑の渦の予定が、場内シーン。私の方が固まってしまった。終了後、主催者から「最近の若い人はマッカーサーなんて知りませんよ」と注意される始末。話の主題には、昭和の時代に流行した「心の扉」を選んでみた。参加者が心の扉を開いてくれたかどうかは不明。

 それにしても、世の中の変化は本当に早すぎる。ソフトバンクの孫正義会長兼社長は、6月の株主総会で「10年以内に、人間の知性はAIに一気に追い抜かれる」との見通しを語っている。今後、生身の人間が行う教育相談ですら、生成AIで成立する可能性があると、本学会会報(第71号)

は伝えている。以前、文部科学省が解禁した「SNSを使った教育相談」ですら、違和感がある私にとっては、もはや「昭和は遠くなりにけり」の心境である。

 戦後、連合国軍最高司令官として日本占領政策を実施したダグラス・マッカーサーが退任時に語った言葉に「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」というのがある。朝鮮戦争以前に生まれた私にとっては、このような日が近いと感じている今日この頃である。

 

 

理事のつぶやき その9

 

  今月は、西岡哲男理事さんのつぶやきです

  働く場所があることを、居場所があることをありがたいと感じます。

  どうぞ、お読みください。

    

 

働く幸せ

                                                                          西岡哲男

 

  私は、特別支援学校を定年退職してからは、福祉の世界で、障害のある方々に働く場を提供する仕事をしています。就労支援の仕事(就労継続支援A型事業所)です。働くことを通して人生の幸せを実感していただきたいとの願いで、日々、利用者さんと汗を流しています。

 ご存知の方も多いと思いますが、日本理化学工業(障害者がたくさん働くチョークを作る会社)の会長、大山泰弘さんは、人の幸せについて、次のように仰っています。「人間の幸せは、働くことによって手に入れることができる。…略… 人間の究極の幸せとは、次の四つです。それは、人に愛されること。人にほめられること。人の役に立つこと。人から必要とされること。この四つを得られると、幸せになることができ、働くことによってこれらを手に入れることができるのです。」(大山泰弘著『人生とは、人の役に立つこと 働くしあわせ』WAVE出版、2015

私の事業所に、「よろこぶばい」が口癖のYさんが毎日元気に通って来られます。50歳になる知的障害のある愉快な利用者さんです。様々な作業がある中、Yさんのお気に入りの仕事は、関連会社の社有車の洗車です。仲間と共に、1台仕上げるたびに「よろこぶばい」と満足げに唱えます。洗車が、生き甲斐なのです。なぜでしょう。社員さんから「(車を)こんなに綺麗にしてくれて、ありがとう」と言われることが嬉しくてたまらないからです。お礼を言われて、あるいはお礼を言ってくださる社員さんを思い浮かべては、「自分が役に立っている、必要とされている」という実感、働く幸せが感じられるからでしょう。Yさんのはにかむ表情に、私も幸せを感じます。

人は、何のために働くのか。ああそうか。大山さんが仰っているとおり、幸せになるためだったんだ。と、利用者さんから、いまさらのように気づかせていただいた瞬間でした。決して生活費を稼ぐためだけではなかったのです。

教員時代、ある高校の校長先生が、卒業式の式辞の中で、「誰かの役に立つことが嬉しい。自分の役割を果たすことが嬉しい。そう思える人になってほしい」と仰っておられたのを聞き、私も、全く同感。真似をして生徒に同じことをよく言っていました。今、就労支援の福祉の現場に来てみて、改めて、そのことの大切さをしみじみと味わっています。

 教育の現場を離れて、数年が経ちましたが、それぞれの学校では、どのような子どもに育ってほしいと願い実践が積み重ねられているのでしょうか。「誰かの役に立つことが嬉しい」そんな思いを大事にする人に育っていってほしいなあ。と、福祉の現場から、ちょっとつぶやいてみました。

おあとがよろしいようで。

 理事のつぶやき その8

 

 今月は、川口貴晴理事さんがつぶやいてます。

 体重計に乗るたびの一喜一憂、よくわかります!

 

「油断大敵!」何気ない日常の気付きが幸せを生む

 

佐世保市 川口貴晴

 

我が家の体重計は、新年あけから電池切れでした。定期的な人間ドックで「メタボ予備軍です」と宣告されるたびに、言われた後の数日は気にするものの、体重については「大丈夫」という妙な自信をもっていました。ですから、毎日の風呂上りに何とはなしに体重計に乗ってはいましたが、ごくごく小さな一喜一憂を繰り返す程度でした。ところが電池切れが発覚したにも関わらず、家族の誰かがそのうちに電池を補充するだろうなどと、ちょっと横着な考えをしたこともあって、体重計に乗らない日々が続き、あっという間に2か月ほどが経過しました。そして、新しい電池を入れて息を吹き返した体重計は驚くべき数値をたたき出しました。これが、テストの点数だったら大喜びする数値でしょうが、体重ではそうはいきません。体格のよい友人に「体重0.1トンってすごいね」などと冗談を言っていた自分にまさかの事態が起こりました。「油断」と言ってしまえば、それまででしょうが、何気ない毎日の生活の中でも、ちょっとした小さな変化に気づいたり、大丈夫かなと気にかけたり、小さな意識と実行を積み重ねたりすることが、大きな失敗に陥らないための秘訣であると、まさに身をもって痛感しました。

私は中学校の教員として33年間勤務してきました。学級経営や部活動指導などでも「もう大丈夫!」とちょっと目を離したり、油断をしたりすると、見えないところで(見えていたようで見えなかった、見ていなかったのかも)ほころびが出て、修復が難しくなる事態にまで陥ったという経験がありました。教員は、常にアンテナを高く・広く・深くはって、子どもをしっかりと見守り、しっかりと理解していくことが大切だと思いこれまでも実践して参りました。

その実現の基本となるのが、日頃の何気ない日常の中で、子どもたちを「しっかり見(観・診・看)ること」と「小さな変化に気づくことのできる感性を磨くこと」なのではないかと、今回の「体重計事件」で改めて認識しました。

私の好きな言葉は数々ありますが、「食べ放題」「お代わり自由」という言葉も大好きです。長崎には、「食べ放題」や「ごはんとみそ汁お代わり自由」などをうたった飲食の名店がたくさんあり、「炭水化物は我慢」という決意を容易に曲げられてしまうことが度々あり、悩みの種の一つになっています。

 

そんな中で、ついに妻と一緒に初めてのジム通いを始めました。そして、5月にはなんと105キロウルトラウォークなるイベントにも参加しました。結果は・・・でしたが、一人でも多くの子どもを支え、育んでいくためにも「炭水化物は少しだけ我慢」と「電池が切れたらすぐ交換」を自分自身に課し、これからも健康に留意して自分ができることを精一杯頑張っていこうと決意を新たにしました。

 

 

 理事のつぶやき その7

 

 今月の理事のつぶやきは、林田栄治理事さんです。

  因みに、ホームページ管理者の冷蔵庫は、引っ越し前のため…です。 

 

 今年度も残すところ、あとわずかとなりました。先日は、子どもに寄り添う研修会に参加させて

いただき、「その時々の初心を大切にしたいと」感じたところです。

さて、今月の理事のつぶやきは、林田が担当します。私は、60歳の定年退職まで小学校に勤務していました。退職後の2年間は、初任者研修に関わらせていただき、その後中学校にスクールカウンセラーとして活動しています。

私が心理に強い関心を持ったのは、十数年前に勤務していた小学校で、発達に凸凹のある児童本人が辛そうにしている、保護者の方、担任がどのように対応したらいいのか困っているという事例に数多く出会ったことでした。また、いじめや不登校も増加の一途をたどっている状況で、学校経営を充実させるために、子育て支援のために、自分にできることはどんなことだろうかと手探りで対応していました。まさに、その頃本学会の支部研修会に参加する機会を得たのです。その後、九州地区研修会や全国大会、中央研修会に毎年参加し素晴らしい講師陣から多くの示唆をいただきました。上記研修会で学んだことは、初任者研修でも活用させてもらい、授業研究をはじめ様々な場面で「成功の責任追及」をよくしていたことを思い出します。

 今回は、教育相談学会の研修会の学びの中から、困り感を持つ多くの子どもたちと関わっていて感じる「根拠のない自信」を持たせるために大切にしたいこと、特に印象に残っていることを紹介します。

 

□ 冷蔵庫の中に何がある?

買い物をする時間もなく帰宅して、急いで食事を作るときも、まずは冷蔵庫を開けます。その

とき、あなたは、どう思ってあけますか?きっと「何があるかな?」と思って開けますよね。

「何がないかな・・・」と思っては開けません。冷蔵庫の中に「無いもの」を探せばたくさんあ

ります。でも、「何があるかな?」と思ってみるわけです。「有るもの」を探すわけです。

 すると、忘れていたものが見つかります。普通なら捨てているかもしれない。かまぼこ、ベーコン、玉ねぎ、たった1個の卵、どれも切れ端や残り物です。でも、とりあえず家族の食事を何

作らなければならないときには、「やった!これがあった。こんなものもあった!」と嬉しくなります。冷ご飯と炒めてチャーハンができます。とてもありがたい。「感謝!」と思います。そんな

時の方が、用意周到に材料をそろえたときよりも意外においしかったりします。

 このように、冷蔵庫を開けるときに私たちは「無いもの」ではなく「有るもの」を探すわけです。私たちの日常生活は、新鮮で高級な食材、鯛やひらめ、キャビア、ステーキ肉などでいつも

冷蔵庫が満杯とは限りません。「有るもの」を探して、工夫・利用して幸せを感じたり、予想以上の出来栄えを喜んだりして生きているのだと思います。

 ところが、相手を子どもに変えた場合はどうでしょうか?「この子の中にはロクなものが入っていない。これもない、あれもない」と「無いもの」に注目しています。そして、「これっぽちしかない」「あぁ マグロも大トロだと期待していたのに・・・」(笑)と、「無いもの」ばかりを見つけて落胆します。子どもの未来を創るためには“材料”(リソース)が必要です。「無いもの」

をいくら並べ立てても、それは材料にはなりません。「自分はここが捨てたもんじゃない。こういうところが結構いい!」と自分の中に「有るもの」が納得されてはじめて、「未来や将来はどうするの、どんな学校に行くの、何になりたいの」という問いに、主体的な答えが出せると思うのです。子どもに向き合うとき、「何があるのかな?」と見えない扉を開いてみて下さい。

         【参考図書;黒沢幸子著「スクールカウンセリングワークブック」金子書房】

 

 

*子どもを 夫や妻 友人や同僚に置き換えてもらうと、良いことが待っているのではないでしょうか。外を見ると梅の花、そして桃・桜と移っていきます。どの花も必ず咲くという気持ちで、

 あるものを探していきたいと思うのです。その先に子どもたちや保護者、教員の笑顔が待っ

 いることを信じて。                       雑感でした(林田栄治) 

理事のつぶやき  その6

 

 今回のつぶやきは、諸熊修一理事さんです。

 アメリカからの学級通信を生徒さんたちは、きっと楽しみにされていたことでしょう!

 

 30代の半ば頃、当時の文部省が主催した「日米交流若手教員海外派遣」でアメリカへ3か月間研修に行く機会をいただきました。学級担任をしていたので、現地で書いた学級通信をインターネットで送信して、学級の子どもたちにアメリカの学校の様子を知らせていました。その当時の学級通信を年末に部屋の掃除をしていたら偶然にも見つけました。以下は、その当時の学級通信の一部です。

「ある日の授業中、突然ブザーが鳴りました。何事かと思っていると、子ども達が机の下に隠れました。避難訓練だったのですが、何からの避難訓練だったと思いますか?実は、銃から自分の身を守る避難訓練だったのです。後から聞いてびっくりしました。『やっぱり、ここはアメリカだなぁ』と思いました。」

また、こんなことも書いています。

「2校ほど、学校訪問をしたのですが、一番驚いたのは、施設が充実していたことです。何と言ってもパソコンの数にはびっくりしました。教室には必ず1台は置いてあります。しかもインターネットはずっとつなげっぱなしです。日本でそのようなことをやっていたらお金がいくらあっても足らなくなりますが、アメリカは基本的に無料です。しかも、市内だったら電話料金も無料です。アメリカでパソコンやインターネットが発達していく背景がわかるようでした。」

平成12年の頃の話です。この翌年に大阪付属池田小学校の事件が起きました。この事件以前は、避難訓練と言えば「火災による避難訓練」だけだったように記憶しています。今では「不審者対策の避難訓練」は当たり前のように行われていますし、津波や地震を想定した避難訓練も実施します。ICTについてはGIGAスクール構想が始まり、今や生徒一人一台の時代です。私たちがタブレットの操作を子どもたちに教わることも珍しくありませんし、多くの生徒がスマホを片手に様々なコミュニケーションを取っています。

「子どもは未来からの留学生」ということはよく言われますが、今の子どもたちの20年後、

30年後を見据えて教育活動を行っているだろうかと、慌ただしい年の瀬にたくさんの段ボール箱に囲まれながら、ふと思ってしまいました。

 

                         佐世保市立大野中学校 諸熊修一

 

理事のつぶやき  その5

 

 今回のつぶやきは、川波寿雄理事さんです。

 親として振り返ると・・・。同感です。 

 どうぞ、ご覧ください。

 

 先日、国の重要施策に関する会議の資料に次のような資料を目にした。

 それは、現在の公立の学校(小・中・義務教育学校)では、教室の中に多様な児童生徒が

多く在籍しているというもの。発達障害、特異な才能、不登校・不登校傾向など学級には様々

な特性のある児童生徒が教室の中に約2割を超える割合で在籍しており、学校に馴染めない

子どもがいるというもの。

 職業人の私は、多様性を認めあうことの大切さを話すこともあるが、現在、小学生・中学生・

高校生の父親である私を振り返ると、子どもに「こうあってほしい」という親としての願いが

多様性を認めることの難しさを痛感させられることにもなっている。

 職業人として、子どもの父親として人の多様性を「子どもから学ぶ」姿勢はこれからも大切に

していきたい。

 

                              長崎県教育センター 川波寿雄

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理事のつぶやき その4
11月は、山田喜典理事さんのつぶやきをお聞きください。
理事のつぶやき「その後どうですか?」山田喜典理事.pdf
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理事のつぶやき その3       荒木寿美子 理事

目玉焼きとアンガーマネジメント

 

スクールカウンセラーとして勤務している中学校で、毎年2年生を対象としたアンガーマネジメントの講話を担当している。アンガーマネジメントとは、簡単に言うと、自分の怒りを知って上手にコントロールするためのスキルである。150分の話の中にアンガーマネジメントのすべてを盛り込むことは難しいので、怒りの性質や仕組み、対処法などポイントを絞って話しており、その中に「目玉焼きの話」を入れている。「目玉焼きに何をかけて食べますか」と質問し、しょうゆ、ソース、マヨネーズ、塩のみ、塩・こしょう、ケチャップ、ポン酢、何もかけない…などと調味料を順に言って挙手をしてもらう。それまではちょっと退屈そうに聞いている子や眠たそうにしている子も、この時はまわりを見回しながらしっかり聞いている。少数派が挙手をする場面では「へえ」とか「えーっ!」などの声が上がる。毎年の傾向は大体同じで5~6割はしょうゆ派という結果である。次点は塩こしょう派、マヨネーズとしょうゆ、またはソースを混ぜます派も意外と多い。何もかけない派(私は「素材の味を楽しむ派」と呼んでいる)も毎回数名いる。それぞれが自分の好きな味で目玉焼きをおいしく食べていることに違いはないが、あちこちから「ソースって何か違う…」「ケチャップかけると?」「何もかけんやったら、味せんやろ」などと言っているのが聞こえてくる。

 普段の生活の中で苛立ちや怒りが生まれるのは、自分の中にある「こうあるべき」の「べき」が裏切られたときと言われている。「べき」とはその人が無意識のうちに大切にしているこだわりや価値観などのことだ。「~なはず」「当然」「普通は~」などの言い方も「べき」と同じと言える。自分にとっての「べき」は、相手も同じとは限らない。誰がどんな「べき」を信じていても自由で、「べき」に不正解はない。「時間は守るべき」「大きな声で挨拶するのは当然」「友達ならわかってくれるはず」「使った道具は元の場所に戻すのが普通」このような価値観は日頃よく見聞きするものだと思う。これら自体は悪いものではなく、自分の価値観にこだわり過ぎて日常生活や人間関係に支障をきたしたりイライラしてしまったりすることが問題となる。相手が自分の「べき」と違うことでイライラするよりも、自分の「べき」を見直して許せる範囲を広げる努力をしていくことが大事である。

 私は以前小学校教諭をしていた。3年生の担任をしていたとき、給食時間に子どもたちとのおしゃべりの中で、目玉焼きに何をかけて食べるかを聞いたことがあった。その翌日、一人の男の子が私のところに来て、「先生、昨日さ、目玉焼きの話したやろ?俺ね、いつもはしょうゆかけるけど、今日の朝はソースかけてみたらね、うまかったよ」と話してくれた。目玉焼きといえばしょうゆが普通と思っていた子が、自分とは違う価値観を受け入れてソースを試してみたという柔軟な態度に、大げさかもしれないが私はちょっと感動した。「うまかったよ」と言ったときの彼の笑顔は今でも覚えている。このエピソードが、私のアンガーマネジメントの講話での自分の「べき」に気づき、見直し、許せる範囲を広げるという話のもとになっている。「目玉焼きには○○」という「べき」の例は少々ゆるすぎるし、怒りに繫がるほどのことではないが、生徒たちが自分の「べき」に気づくきっかけになっていることは確かだ。

さて、みなさんは目玉焼きに何をかけて食べますか?

 

 

                                   荒木 寿美子

理事のつぶやき その2       浦川千草 理事

「教育相談との出会い」

 

 

 

今から数十年ほど前の話、ある日、ある時、ある中学校での光景。

出勤すると下駄箱にあるはずの数名の職員のシューズがありません。先生方の「またやられた・・・」のため息交じりの暗い空気を感じつつゴミ箱や校舎裏を捜索。そうこうするうち朝の会の時間。姿を見せない生徒宅への電話。2、3名はつながらず、空き時間の家庭訪問。学校へ戻り管理職への報告をしつつバタバタと授業へ。そして給食時間。これもまた時間との勝負であり忍耐勝負で教室に見守りの指導。自分の食事はそこそこに、マナーと片付け指導。昼休みも継続して廊下で見守り指導。やっと昼休みの終わり頃、職員室へ戻れば机にはメモの山。すぐさま折り返しの地域や家庭への電話。不満やお怒りの言葉にお詫びを伝え、その後、頭の中で放課後の来校や対応の予定を組み立てます。調整後、椅子に腰掛けたのも束の間、外へ目をやった瞬間、窓から放り投げられたと思われる牛乳パックや教科書が上の階から降ってきます。すぐさま近くの職員と教室へ。指導した後、午後の授業へ。放課後は学年会で情報共有と指導方法の検討、そして家庭訪問へ。学校や教師に対する要望をお聞きし、学校へ戻れば机にはまたメモ。近くの商店からの生徒のことでの困りごと相談。すぐさま足を運び、状況確認・・・。連日、このような生徒指導の繰り返し。学年・学級関係なく繰り返される生徒の問題行動に対応する毎日でした。帰宅後考えるのは、「なぜ、どうして?」ばかり。「生徒のことを一生懸考えて指導しているはずなのに」「何が間違い?」と、繰り返し考え、休日も頭の中は学習指導や生徒指導のことばかり考えていました。

ある時、行事予定の中に「教育相談」の文字を見つけました。この時の私は「教育相談」の真の意味を十分理解しておらず、「一人:20分、生活・勉強のことに触れて話をすればいい」と考えていました。今から思えばそれは相談ではなく、「教師の一方的な見解と要望・伝達」に終始していたと思います。放課後、職員室で話をする中で「先輩先生方にはなぜ、こんなに情報が入ってくるのだろう。生徒からどう聞き出しているのだろう」と思い、尋ねてみました。帰ってきた答えは、「生徒に話させる」です。これには目からうろこでした。私が行っていた教育相談は、「私が指導」していたのであって、「生徒にとっての相談」にはなっておらず、生徒に向き合っていなかったと気付かされました。数年の教員経験を積んだだけで教師という仕事を分かったかのように勘違いしていた自分や教師になった時の「初心」を忘れていた自分を恥ずかしく思ったことを思い出します。

私は、このことをきっかけにして「相手の話をじっくりと聴く」ことをモットーにしながら現在まで教育相談を行っています。また、御縁があって本学会との出会いもあり、喜んで入会後、更なる研鑽に励んでいます。今後も「初心を忘れず、謙虚に子どもや保護者の話に耳を傾け、心に寄り添うこと」の大切さを肝に銘じていきたいと考えています。

 

令和4年9月吉日

日本学校教育相談学会長崎県支部 理事 浦川 千草

理事のつぶやき その1       橋 貞幸 副理事長

「性格(自分の中の辞書)について」

 

近頃は、漢字が書けなくなりました。人前でメモをするときに、漢字が思い浮かばなくて、ついついひらがなで書いてしまうことがあります。

そんな時に、辞書が手元にあれば助かります。

さて辞書と言えば、アドラー心理学の野田俊作氏は、著書(※1)の中で性格は辞書のようなものだと説明しています。野田氏によれば、私たちは何かのできごとに対して、こうしたらうまくいったあるいはうまくいかなかったという体験を後生大事に抱えています。それは蓄積されて、あたかも手作り辞書のようなものになっていきます。そして人生の課題(できごと)に出合うたびに、長年かけて作り上げた手作り辞書をめくって、課題を解釈し、その課題へどう対処するかを私たちは決断するのです。

ところが、手作り辞書にはけっこう間違いのページがあります。ですから、決断の資料となる手作り辞書はできるだけ正しく書き換えて、最新版にするように心がけたほうが良いそうです。

残念ながら、私の性格すなわち手作り辞書は、20歳代の初版本からほとんど変わっていないように思えます。

ある高校では、遅刻してきた生徒を「よく来たね」と迎えると聞きました。生徒が遅刻してくる背景には、いろいろなものを抱えている。そこを踏ん張って、たとえ遅れても登校しているのだと分ったうえでの温かい対応なのです。しかしながら私の手作り辞書には、「そんなことじゃ、ダメじゃないか!」と足りないところを指摘するページが未だに残っている気がするのです。

古希を過ぎた私ですが、教育相談学会のみなさんの手を借りて、これからも自分の中の手作り辞書をより新しいものに書き換えていきたいと思っています。

 

※1 創元社刊「アドラー心理学を語る 1 性格は変えられる」

 

 

    橋 貞幸